“大悲”は大いなる悲しみであり、慈悲の心です。慈悲の心とは、人を憐れんで、人の悲しみを除いてあげたいと願う心です。
“千手眼”は、千本の手と千個の眼です。
千手観音という菩薩がありますが、千本の手をお持ちになった観音さまで、その千本の手には、それぞれ眼が描かれています。千本の手に千本の眼をお持ちなのです。
千手観音さまに因んで、坂村真民先生の詩に「手が欲しい」という詩があります。
「目の見えない子供の描いたお母さんという絵には いくつもの手がかいてあった
それを見たときわたくしは千手観音さまの実在をはっきりを知った
それ以来あの1本1本の手が いきいきと生きて 見えるようになった
異様な御姿が 少しも異様でなく 真実のおん姿に 見えるようになった・・・・」
と坂村先生は言います。
目の見えない子がお母さんを描く時、たくさんの手を描いたのです。
ご飯を食べさせてくれて、着替えをさせてくれて、頭を撫でてくれて、手を引いてどこへでも連れて行ってくれて、・・・何本描いても描ききれないほどのお母さんの手を描いたのです。それがまさしく千の手なのです。
同じように千の眼というのは、私たちはいつも見守られて生きてきたということです。親は子をいつでも見守っているということです。それは親の心であり、人は見守ってくれていることを感じると、生きる力を得るのです。
私たちは、千の手をかけてもらって、千の眼で見守ってもらって、生きてきたことに気付かなければなりません。そして今度は人のために尽くしていかなければなりません。
誰もがみんな、身近なところから自分のできることで、実際に手を差しのべる勇気をもって、大慈大悲千手眼観音さまの心を持つことが大切です。
鎌倉円覚寺管長 横田南嶺