自己を丹誠するには、まず一生懸けていいという目的を持っていなきゃいけない。その目的に向かって、どういう人間に自分を仕上げたいかだ。

心に響く言葉

自己を丹誠するには、まず一生懸けていいという目的を持っていなきゃいけない。その目的に向かって、どういう人間に自分を仕上げたいかだ。

何かを成し遂げようとするとき、とにかく一つの仕事を続けられる人でないといけません。

一つのことに対して10年、20年、30年と同じ姿勢で同じ情熱を傾け続けられることが才能なのだろうと思います。

一生懸けてもいいというものに出会うというか、見つけたとしても、本当に一生打ち込めるだけの才能をもっているかはわかりません。1つのものを長い間続けられる才能は、性格のようなもので、その性格は“運鈍根”なのです。

運と鈍と根が3つ繋がっていない人は、一生懸けて一つのことを成し遂げることはできません。たとえ自分に能力がなかったとしても、あまり気にせず、何とかなるだろうと思ってひたすらやり続けるのがよいのです。いくら能力があったとしても、鈍や根の姿勢がない人は運もついていかないかもしれません。

 

そうはいっても、一生のうち、試練というものが絶対何度かやってきます。その試練をどう受け取るかが、どういう自分に仕上げるかの要だと思います。

イタリアの神学者トマス・アクィナスが「すべて存在するものは善きものである」といっているように、自分の思い通りにならなくて、愚痴や不平不満を漏らしている人が多いけれども存在するものは全てが善だと思えば、呪うこともなくなるし、辛いことがあっても人生楽しくなるはずです。

曽野綾子氏は「人間には誰しも、一刻一刻、周囲がその人にこれをしなさいと言っているものがあるんですよ。それを死ぬまで丹誠込めてやるのが私に与えられた使命だと思います。」と言われています。

 

自己を丹誠するというのは、自分のしたいことをして自己を育てることではありません。

自分のしたいことを自分の力ですると同時に、他人のためにさせていただくという気持ちがなければなりません。曽野綾子氏は「七割は自分の楽しみ、三割は育てたいもののためにお金と時間を使う。年を取ればとるほど、そういう人間になれるといいですね。」と言われています。

 

さらに、「自己を丹誠するには、まず一生懸けていいという目的を持っていなきゃいけない。その目的に向かって、どういう人間に自分を仕上げたいのか。人間はもちろん脇道に逸れる時間も必要ですけれども、やっぱり自分を訓練していくと同時に自分も他者のために、少し手助けする気持ちを持つことが大切です。」と言われています。

自己丹誠こそが幸福に生きるための道であり、自己丹誠は自分のしたいことだけをするのではなく、人としてすべきことをする、そして一生を懸けて目的に向かい続けることなのです。

 

曽野綾子

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