「不断不修 任運自在 方名解脱」
断(だん)ぜず修(しゅう)せず、任運自在(にんぬんじざい)なるを、方(まさ)に解脱(げだつ)と名(な)づく。
“任運自在”とは流れに身を任せて、その巡り合わせを味わうという禅語の教えです。
つまり、巡り合わせや大きな流れに身を任せて、あれこれ考えてはいけません。思いが叶わないということから悩みは生じます。悩みは自分自身で生み出しているものが多いのです。
私たち人間は、誰かに腹が立つ時がある。誰かに腹を立てるということは、結局自分が自分に腹を立てているようなものなのです。全てを受け入れてみましょう。そうすれば何かが分かるはずなのです。
“任運自在”は相田みつを氏の詩に「いのちの根」とその精神はよく似ています。
なみだをこらえて
かなしみに耐えるとき
ぐちを言わずに
苦しみに耐えるとき
言い訳をしないで
だまって批判に耐えるとき
いかりをおさえて
じっと
屈辱に耐えるとき
あなたの眼のいろが
ふかくなり
いのちの根が
ふかくなる
安田電機会長の津田純嗣氏は、“任運自在”という言葉を、仕事に対する心構えにしていたそうです。
津田純嗣氏は、“任運自在”を「現実に起こっていることは全て真実、事実であって、まずそのまま素直に受け入れる。それから『なぜそうなっているのか』を問い、因果関係を考えていくことで物事の本質が見えてくる」と解釈されておられます。
同じ事業の目的を果たす時でも、文化が異なれば、仕事の仕方や組織の作り方が異なります。とはいえ経営理念、行動指針は共通の要素でなければならないところです。
このようなときに自分たちの意見を現地の人にも押し付けるようなやり方では、失敗します。地域の文化を尊重して受け入れることなくして成功はありません。
“任運自在”の心構えで、海外の人と心を通わせるために最も大切なことは「仁・義・礼・智・信」。
つまり人としての正しい生き方は世界でも通用するということです。
特に欧米では個人と個人の繋がりや信頼関係が社会の基軸となっています。非常に合理的な部分がある一方、人としての真義に反するようなことをすればたちまち社会からはじき出されてしまいます。
また、欧米では多様な文化を持つ個人の自由を尊重しながら、一つの社会がしっかりと成り立っており、“任運自在”でありながら、人は自分の意志裁量で人生や仕事への向き合い方を決めて、さらに高い生産性も実現しています。
日本も“任運自在”の心構えで、法律や慣習で決められているからではなく、自分の自由な意思で自発的に人生や仕事へ取り組んでいけるような社会にすることが必要です。
私の座右銘 安川電機会長 津田純嗣より